2008年10月21日

妄想力って誰が考え出したんだろう。

mixiで前の記事へのコメント返しが長くなったので記事にします。ちょうど書きたかった内容なので。ですので、前の記事を見てからお読みください。mixiのコメントを読まなくてもわかりますので、記事だけで大丈夫です。


一番言いたかったのは、これは「思想統制」じゃないのかと思うわけです。

児童ポルノの規制は私も当然だと思いますし、幼い子供たちを守らなければならない点は言うまでもないです。昨今のゲームが過激すぎるのではないか?という点も一理あると思うし、考察されるべきだとは思います。その過激さに妙に反応するバカもいる世の中ですから。

ただ、それらの所持や行き過ぎた規制は「そんな考えを持つことすらやめろ」ってことだと思いますが、無理でしょう、それは。
どんなに法的、倫理的にダメだとされる考えだって持っているのが人間であり、だからこそこの世に争いはなくならぬってのは語るまでもないわけで。もちろんそれをなくさなければならないことは当たり前。「殺してやりたい」「犯してやりたい」なんてことが世に認められるわけはない。そんな考えで成り立つほど今の人間社会は北斗の拳の世界とは化してはおるまい(笑)

それを踏まえても、そんな考えを持ってしまうのが人間じゃないのだろうか。弱いといわれようとも、そんな妄想力を抱けるからこそ人は空を飛べたと私は思っているわけだ。また、弱い人間が何とかやってこれたのはこの妄想力があるからこそ。無理やりだけども、そういった想いこそが人間の「強さ」だとさえ思います。

振り返って、今回の法案。何が目的なのかねと。
「悪は隠す」の一辺倒で何とかならない世の中じゃあないと思います。「悪のような考えも持つ」のが人間であり、それをバランスよく抑えるのが現代人。ストレスフルな世の中で、妄想はたくましく発達していく。
そんな中、いわゆる「エロゲー」はそこまで悪か?と言いたい。

春画を喩えに出すほど愚かではないですが、少なくともアングラなものであるがゆえに黙認(というよりは無視)されてきて、典型的論理ではありますが「欲望の抑制」にいいタガをかけてきたのが、こうしたものではなかったのかなと。もちろん実行に移すバカのことを考えれば養護ばかりはしてられないですけどね。

世の中まだ信用できる面はあるし、そうした信用を作り上げていくのがこの国に必要なことでしょう。こうした「道具」を危険視しすぎるのは、言ってみれば「包丁持ったら危ない人」って論理すらまかり通るんではなかろうかと。かっ飛びすぎと言われるでしょうが、戦時の国家総動員法を考えればあながち「妄想」でもあるまいと思うわけです。

もちろん「アニヲタ乙ww」となることを承知で言いますけども、そんな表現すら規制されかねない世の中で、この傾向は右傾化よりもよっぽど私にとっては、怖いことです。戦う前に消されるわけですから。


「エロゲー」ひとつに過剰反応しなければならない。こんな世界に誰がした。
posted by きのした@なぎさ at 20:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 思想・論争・時事問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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