理由になってないことはさておいて(゜▽、゜)
おとなの小論文教室。
Lesson567 ノンアルコールビール社会
http://www.1101.com/essay/2011-12-07.htmlLesson568 読者たちが見た「ノンアルコールビール社会」
http://www.1101.com/essay/2011-12-14.html岡本太郎は忘れてけっこう。
第2回「岡本太郎を知らない太郎。」
http://www.1101.com/taro100/index.html嫌われたり、嫌がられたり、痴れ者と罵られたり、下手くそだって思われたり。
そういう覚悟をして、それでも自分がやりたいことがやれて、伝えたい事が伝わったら、
それはきっと、意外といい人生なんだろう。
でもそれは私が選びとる人生で、他の人に勧められない。
占いをしているとき、自分に言い聞かせていることがある。
「この人の人生を決定してはいけない」ということ。
占われたい人は、迷っている。考えている。悩んでいる。
そんな中で欲しているのは、答えじゃない。
「選択権」だ。
おとなの小論文教室。
Lesson505 選択権が降りてきた
http://www.1101.com/essay/2010-09-01.htmlLesson506 選択権が降りてきた 2
http://www.1101.com/essay/2010-09-08.html私が占いや、あるいは相談事において必ず念頭の置いていることは、
その人が何を選択したがっているのか、その人が最後に何を勝ち取りたいのか。
そのためにはいくつもの道がある。
その道を伝えるのが私の役目。
その道から選びとるのが、その人の人生。
どの道を歩いたほうが歩きやすいかを教えるのは私の役目。
その道を歩きたいかどうか決めるのが、その人の人生。
こんなことに気づけたのは、本当につい最近のことだった。
どれだけその人がどの道を歩きたがっているか想像したって、
絶対にその人になることはできない。
けれども、その人に近づくことはできる。それも、かなりきわどいところまで。
でも、それはその人になったことではない。
それを間違えると、自分と他人を区別できなくなり、自分と他人を傷つける。
だから、その人が迷っているときは、選択できるように地図を渡す。
時としてそれは、非常に厳しい言葉を与えてしまうことにもなる。
辛い現実をつきつけられて、心を折りそうになるくらいに。
でも、それでも踏ん張ってくれる人たちが、私の前にはたくさんいる。
そしてそれが、背中を押す事になる時もある。
逆に、ひとつの道を諦めることにもなる。
いずれにしても、その人は選ぶことができる。
選ぶことが出来れば、また前へ進むことができる。
結果として気持ちが楽になれば、これ以上嬉しいことはない。
友人づきあいの中で、一言が言えない瞬間がある。
これを今言っても聞いてもらえないのではないか、伝わらないのではないか。
それが溜まりに溜まった瞬間、お互いを大きく傷つけることになる。
慮ることは決して悪いことではない。
だが、その配慮は誰に対するものだろうか。
相手に対するものか?自分に対するものか?周りに対するものか?
それはただの逃げではないのか?
私は、もう逃げないと決めた。
傷ついても、繋がり続けたい人達がいる。
そして、歩き続けたい今がある。
「今はまだ無色に近い」と言われた。
自分の不出来を嘆くと同時に、安堵した。
まだまだやれることはある。まだまだ色をつけていける。
その色が嫌いだと言われても、その色が好きだといってくれる人のために。
そして、その色で描きたいキャンバスがあったりするのだ。
2012年はどんな年になるだろう。
少なくとも、今の人達と共に、今より沢山の色を着けられるようにあろう。
そうじゃなかったら、もったいない。(笑)
posted by きのした@なぎさ at 21:02| 東京

|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日記
|

|